衣服の歴史・商標の歴史・プリントネームタグの歴史と技術的展開

様々な古いミシン

「プリントネーム」とは、「テープ状の素材にブランドロゴをプリントしたブランドタグ」のことです。テープの素材とプリント(印刷)の手法の組み合わせにより、さまざまな風合い、雰囲気のものがあります。

下げ札や織りネームタグとのちがい

様々な紙タグ

吊り紐で吊り下げる「下げ札・ペーパータグ」とは、素材が紙ではなくテープ状の布である点と、吊り下げるのではなく衣服やバッグなどの製品に直接縫い付けるか、接着する点で異なっています。

また、「織りネームタグ」との相違点は、図柄を糸で織り込むのではなくインクなどでプリントしているところにあります。

英文契約書のPrint Name of~とのちがい

色

英文の契約書では、サインを書く欄とは別に「Print Name of the Consultant」などとなった欄が設けられていることがあります。

これは、欧米では「サイン」が主流であり、法的に有効なのですが、それだけに同じ名前でも「ほかの人のサインと区別できなければならない」という性格があるため、ササッと書くサインの書体が図案化されており、時として「読めない」ことがあることから求められる署名欄なのです。手書きでササッと書くサインとは別に、誰にでも読みやすい活字体、ブロック体で名前を書くところが「Print Name」ということで、もちろんこれはここで扱っている「プリントネーム」とは別物です。

「ブランド」の起源

縫い付けタグ

「衣服」というくくりで考えてその起源は……というと、それはもう考古学的な太古の昔です。『旧約聖書』で言えば、「知恵の木の実」を食べたあとの「葉っぱ」。「最初の人間」が身にまとったものですが、これは比喩でもなんでもなく、まさしく衣服というものを持った瞬間に、類人猿は「人間」となったのでした。

そういった原始時代の衣服は、動物の皮を加工して縫い合わせたり、植物から繊維をとりだして編み上げたりといった形で作られていたことでしょう。集団の中で分業によりもっぱら衣服にたずさわる人々は存在したでしょうが、最初のうちは「職業」として独立していたわけではなく、それゆえ衣服について「自分が作った」と主張する必要もなく、「商標・ブランド」のようなものは考えなかったでしょう。したがって、そのような太古の昔にはブランドネームタグのたぐいは存在しなかったはずです。

逆に考えれば、プリントネームタグのような目印が生み出されたのは、衣服を作る仕事が「テイラー」など独立した職業として成立し、同業他者と自分を区別する必要が生じてからのことでしょう。人類が「村落」の規模を超えて、「都市」をいとなむようになった頃合に、「商標」的な考え方が生まれたと考えられます。形態はわかりませんが、ブランドを表示する目印が生み出されたのもこの頃でしょう。

「商標・ブランド」の歴史

ミシン

ということで、「商標・ブランド」が生まれたのは、古くは古代四大文明の時代にまでさかのぼります。最初の頃は、おそらく、腕の良いテイラーやドレスメーカーが、自分の「作品」のどこかに直接サインやマークを書き込むような形だったのでしょう。そうだとすれば、「プリントネーム」という形態は原初にちかいことになります。

日本史で史料的に確認できる最古の商標は鎌倉時代の頃です。平清盛がはじめた日宋貿易で「宋銭」が輸入され、貨幣経済が発展した時代に、商店の軒先で日よけ代わりに使用されていた暖簾(のれん)に屋号や家紋が染め抜かれていたものが、商標のはじまりと言われます。しかし、寺院の瓦、仏像、刀剣などに仏師、刀匠が「銘」を刻印することはずっと昔からおこなわれており、こういったものも広い意味では商標にちかいはたらきを持っていたと考えられます。

江戸時代に入ると、江戸は世界的に見ても最大級の大都市として発展し、大阪も引き続き経済の中心地として栄えます。五街道と廻船航路が整備され人とモノの往来がさかんになる中、商人たちはみずからが売っている商品の出所を明らかにし、他の業者と区別するために「屋号」を商標として用います。あつかう商品には紙や木でできた札を付け、屋号や家紋を記しました。

その後、明治17年に高橋是清が主体となって「商標条例」を制定し、ドイツ風の先願登録主義にもとづく商標制度を確立しました。商標登録第一号は「膏薬丸薬」という薬でした。

明治32年に商標条例は「商標法」と改称され、その後も世の中の変化に応じて商標区分が追加される改正が繰り返されました。

昭和の時代ともなると、政治経済情勢の変化はますますめまぐるしいものとなります。昭和34年改正で商標登録期間が現行法と同じ10年と定められ、昭和50年には登録更新時の商標使用チェックも開始されました。

商標をめぐる国際的枠組みに参加するようになったのは意外と最近のことで、平成8年になってようやく商標法条約に加盟しています。この時、同時に立体商標制度や団体商標制度も導入されました。

つづく平成11年、マドリッド協定議定書に加入し、日本の特許庁に出願するだけで国際商標登録を得ることができるようになりました。

平成17年には地域ブランドを保護するため「地域団体商標制度」が創設されます。また、平成26年というかなり最近のことですが、ネットなどメディアの多様化に対応して動画や動作の商標、ホログラム商標、位置商標など新たな特殊商標も認められるようになりました。

プリントネームの歴史

印刷用文字版

日本で江戸時代に広く見られた商標は、木や紙の札に文字を刻んだり毛筆で書き込んだり、あるいは紺などの布地に白く染め抜いたりといったものでした。「テープ状の布に文字やロゴをプリントする」という、こんにちのプリントネームの発想にちかいと言えるでしょう(下げ札・ペーパータグにもちかいです)。

ただ、衣料品に関しては、江戸時代の着物に店名、屋号や紋が付けられていたようすはありません。おそらく、江戸時代の衣料品は、「呉服屋」で反物を買い、「仕立屋」で着物に仕上げてもらうといった流れで分業されており、ひとつの業者で一貫した製品を作ってはいなかったからでしょう。

衣料品にブランド名を明示するタグが用いられるようになったのは、明治時代、それも鹿鳴館時代に、洋風文化が持ち込まれ、一気に広まった頃でした。インターネットの検索で明治時代の商標を画像検索すると、衣料品のものはあまり多く見つかりませんが、やはりインクでプリントされたものが主流のようです。ブランドタグのはじまりはプリントネームからと考えてよさそうです。

プリントネームの技術的展開

印刷用文字版小

明治時代のプリントネームは紙または布にインクでプリントしてラベルとして貼る、またはシールのように貼り付ける形でした。衣料品についてはこんにちと似たような形で、襟元や身ごろの内側に縫い付けています。

この時代のインクはあまり洗練されておらず、プリントしたあと表面をコートして剥落を防ぐような技術もありませんでしたから、時間が経つと摩擦で図柄が消えてしまうことが多かったようです。

昭和の時代、戦後になると化学繊維が進歩し、同時にインクや印刷技術も高度化していきます。平織り、朱子織りといった複雑な織り方も機械織りでできるようになり、現代ではスクリーン印刷やオフセット印刷も可能になり、デジタル技術を応用したインクジェット印刷も登場しています。分散染料、酸性染料、反応染料といった染料、あるいは油性・水性の顔料も多彩に開発されており、防汚加工、汚れ加工、抜染、防染といった特殊加工もできるようになりました。